取り留めのない話

特に書きたいことはないが、話の種……というか思考の断片がたくさん溜まってきたので書き残しておく。





・創られた言葉だとしても、そこには生み出した人の人間性が見え隠れすると思う。寂しくない人は寂しいなんて表現できない。持ってないものは表せない。寂しさを落とす人は寂しさを知っている。美しいものを生み出す人は、その綺麗さを知っている。だからこそ、喜怒哀楽の全てを表せる人間はすごい。強い。





・毎日何かしら病気の人に出会うんだけど、みんな懸命に生きているんだな、と最近になって痛感する。平然と生活している人も実は難病を患っていたりするし、お年寄りの方が大量の薬を持ちに来たりもする。その中で、痛いとか辛いとかという話を聞いてしまうと、ふいに「そうまでして生きる意味があるのか?」と問いたくなってしまう。たぶんこれを聞いた人は怒り出すんだろう。みんなそれぞれ何かしら事情とかあるんだろうな。動けなくなるのも辛いだろうし。私は「今日も気をつけてね、」ぐらいしか言えないので黙って見送る。





・「生きる意味を説くのであれば、死ぬ意味も等しく説くべき」という言葉に定期的に悩まされる。本当にそうだよな~と思いながら死ぬ意味を探してみるも、今の私には一向に見つからない。ので、とりあえず死ぬのはやめておく。生きる意味がなくて途方に暮れそうな人は、ついでに死ぬ意味も探せばいいんじゃないかと思ってる。たぶん無いから。ちょうどタイミング良くそんな歌が歌われていて、やっぱそうだよな~と思いながら帰路につく。明日も日々のなかに些細な幸せとかを探そうとして浪費していくんだと思う。





・周期的に睡魔に襲われる週間みたいなのがあって、今ちょうど訪れている。睡眠と仕事以外は何も出来ない、食より睡眠。ゲームより睡眠。行き帰りの電車でついったーを少し覗いて、それ以外は睡眠。気がつくとどこからも取り残されている感覚になりそうで、閉鎖的な生活を送っている。






いやほんと眠い以外考えられない。寝よ。